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好き嫌いと善悪の区別

 今日はいつもと少しテイストを変えて僕の価値観の一つについて語っていきたいと思います。あくまで個人的な価値観であって、この価値観がただしいというわけではありません。

 まず僕の思う好き嫌いと善悪の違いを定義したいと思います。まず好き嫌いというのは自分の価値観と照らし合わせて判断するもので、個人的な感情です。一方善悪というのは全世界共通の価値観というものを想定したうえで判断するもので、全体的なものです。そして僕個人としては好き嫌いと善悪ってしっかり区別するべきものであると思っています。そしてよっぽどのことが無い限り、自分は善悪の判断なんて気軽に人に下せないと思っています。しかし世の中では、特にネット上ではこれを区別せず発言している人がすごく多いなと思います。例えば某不登校小学生ユーチューバーの件では、非常に多くの人が学校に行かなければいけないと批判していました。学校に行った方がいいよとか学校行かない人は嫌いだよとかはは好き嫌いの判断であって気軽に言っていいと思うんです。でも行かなければいけないっていうのは行くことがいいことという善悪の判断が入ってるなと思います。しかし誰が学校に行くことが絶対的にいいことだと決めたのでしょうか?そもそも200年前には学校制度なんてありませんでした(せいぜい寺子屋があったくらい)。そんなぽっとでの学校という制度が絶対に行かなければいけないなどということがあるでしょうか?確かに今の世の中、学校に行った方が得する確率は高いと思いますし、先ほども言ったように学校行った方がいいんじゃない?ってアドバイスする気持ちはわかります。またいやいやながらがんばって行っていた人が、行かないのはずるいと思って彼を嫌いになる気持ちもわかります。でも行かなければいけないなんて発言は気軽にできるものでは無いと思います。他にも色々な人が炎上していて、その度に思うのが自分の価値観は絶対では無いのになんでみんなそんなに自信を持って自分の価値観以外認めませんと言った発言をできるのだろうか?っていうことです。

 また自分が嫌いなものは、それを楽しんでいる人がいるにも関わらず存在しなくてもいいという発言をする人もいます。たとえ自分が嫌いなものであっても自分に被害がなければ無視すればいいだけなのに、わざわざ無くそうとする人たちです。それを楽しんでいる人たちもいるってことに少しは気が回らないのかなあと思います。

 とまあ色々書いてきましたが、もちろん善悪と好き嫌いを区別せず発言する人も悪い人では無いと思いますよ。そういう価値観の人がいても全然いいです。ここでダメとか言ったら僕自身が善悪と好き嫌いを区別できてない人になってしまいますしね。でもみんなが寛容になって互いにもっと価値観を認め合ったらもっといい世界になるんじゃ無いかなって思います。